流されてゆけ、どこまでも。

日常、趣味、創作。私が思ったこと、感じたこと。

Highly Sensitive Person

今になってHSP(Highly Sensitive Person)について学び始めた。

やっとここに辿り着いたというか、他の外堀はもう粗方埋め尽くされたというか。

ここに至るまでにもだいぶ長い経緯があったのだけれど、その辺りのことは今日のところは割愛したい。

ここで一気に、全てを書き尽くそうとは思わない。

今は受け止めることで精一杯な状態でもあるだろうから。

どれくらいというところは、気持ちが落ち着いたらゆっくり考えて決めたらいいと思ってる。

今まで認めたくないと思っていたこともそうだし、子供の頃から「弱い自分がいけないんだ」と思い込んでいたものでもあったから、全く違う考え方でこの問題と向き合おうとしていることには今もちょっとだけ、くすぐったいような感覚がある。

本を二冊買って、一つは学術的な観点から話されてる客観的なもの、もう一つは経験者の体験談を交えながら書かれているもの。まずはこの二冊があればいいだろうと思って、今は一冊目を読み進めているところだ。

本を購入する前の下調べの時から、そこで得られた情報で察して、もう無駄な抵抗は止そうと諦めてはいたのだけれど、

まだ一冊目の半分も読み進めてないのに、まるで一から十まで全て私のことを言ってるかのようで、取り上げられてる特徴や具体例はどれも今まで自分が経験してきたことと同じようなものばかり。

私が生まれ持ったこの性分をそうでないと否定する方が、今となっては難しいと感じている。

長い時間と遠回りを経て、今になってやっと、心の中で膝を抱えて小さくなっている自分と向き合うことになったのだけれど、最初はやはり警報を鳴らされた。

今までやってくるたびに弱いお前がいけないんだと、一方的に怒鳴り散らかす奴がまた近づいてきたんだから、その反応は当然だ。

けれど今までと一つ明らかに違うのは、彼は追い出さなければいけない敵ではなく、理解して共に助け合う同志であるということが分かったという点だ。

今度こそ私は、私のことを理解してあげられるだろうか。

まずは今まで、何か上手くいかないことがある度に、思い通りにならない度に、弱いお前がいけないんだと強く叱責していたことを反省するところから始めることになりそうだ。

彼と和解することで足りなかった最後のピースが揃う。

その例えが、この感覚が、どれくらい正確なものなのかは分からないが、もしかするとこれで一つの長い旅が終わりを迎えるかもしれない。

このままじゃいけないという危機感に始まり、最初は漠然と「もっと強くなる」ことを望んで、次第に「自分のことを理解しよう」という方向へと変わっていき、探求の旅は進んでいった。

時間にして3年くらいだろうか。ずっと頭の片隅には置いてあって。

こればかりやれるような生活ではなかったから、主に空き時間を使ってゆっくり考えを進めたり、行動を起こしたりしていた。

もしこれで一つの長い旅が終わるのなら、そこで一度足を止めて休みたい。

これからどうするんだ?と聞いて答えをもらうことを焦らずに。分かったことを振り返りながら、ゆっくり考えて。

どんな答えを出すかはその時の私に全て任せよう。

不安定な心情と強烈なストレスとプレッシャーの先で、私は一体どんな答えに辿り着くのだろうか。

今はまだ心の中のほとんどが不安で満たされている。