流されてゆけ、どこまでも。

日常、趣味、創作。私が思ったこと、感じたこと。

【小話】Minecraft(2)

実はMinecraftの記事を書く時間が好きです。

少ない時は月に一度くらいまで投稿ペースが落ちるくせにそんなことあるのかと思うかもしれませんが、紛れもない事実です。

なんで好きなのかと言うと、脳みその電源をOFFにした状態でスラスラ書けるからですね。

脳みその電源がOFFとは少し表現が偏屈かもしれない。普遍的な言い方に直すなら何も考えずに書けるから、となるでしょうか。

何も考えていないというのも言葉の綾のようなものはありますが、軽口を叩きながらスラスラと書き進んでる様子を後になって読み返してみると、この不真面目で適当で、書いたものを他の人が読んだ時にどれだけ寒く感じるかなんてどうでもよくて、読み返す自分が面白いと感じられればそれで良いという独善的な一面は、私が長年抱えていた真面目過ぎるという性格の問題を解消しようと大人になってから新たに付け加えた性格そのものだろうと感じています。

想像の中で思い描く現実はどこか優しくて前向きで明るいものになりがちです。

後に知る現実の多くがそれとは剥離したものであるということは言うまでもありませんが、それでも自分自身の未来予想図や将来進んでいく社会のことを想像するタイミングでは希望や期待が持てるような状態が好ましいでしょう。

大人になってから新たに付け加えた性格というのは、かつて想像していた現実が少しずつ破壊されていく中で作り上げられた、私の心という国家を守るために設立された国防軍のようなものです。

どんな仕事も真面目に取り組む私というのは、周りにいる多くの不真面目な人間や満足がいかない自分の人生の憂さ晴らしを考える大人達にとっての格好の的でした。

無理難題を押し付けては逃げられないようにして苦しむ私を見て楽しむ大人というのが私の周りにはたくさんいたんですね。

私が想像していた社会と実際に生きている社会との剥離に気がついた時、最初に修正を行った箇所がその性格の部分でした。

彼らから自分を守るための仮面、彼らに抵抗するための武器として作り上げたもの。本来はその程度のものでしかありません。

しかしMinecraftの記事を書いている時の私はその時の自分がスッと出てきます。少し複雑な話ですがこの場合の私は仮面をつけるとかそういう意識はありません。ごく自然と私の性格として出てきています。

不思議ですね、後からつけたものという意識でありながらこういう自分でいる方が楽だと感じています。

もしかすると逆だったのかもしれません。本来の私が不真面目で適当で、それを教育課程のどこかのプログラムを受けている際に引っ込めてしまって、大人になってから改めて意識の深い底から取り出した。何かに真面目に取り組む自分の方が仮面だったのかもしれませんね。

そこについてはまた今度考察してみようと思います。

さて話が飛んだりして回りくどくなりましたが、要するにこの不真面目で適当な一面が前向きな方向に生かされていると感じるため、Minecraftの記事を書いていると気分が良いということが言いたかった。

ある場所では自分を守るための予防線でしかなかったものが違う場所では生き生きとしている。

まるで最適な職場を見つけてあげられたかのような満足感があります。

そしてこういう場所で私が表現したい自分の一つでもあるような気がします。真面目に自分の考えをまとめたくなる時もありますが、楽しさを共有できた時の喜びはやはり何事にも変え難い。

そうは言うものの、いつもより勢いのある言葉の濁流をどこで堰き止めるかという話にもなるので、記事にしてまとめようとなると難しいですね。

だから書いたり書かなかったりと不安定ではあるんだけれど、書いてる時は他ではなかなか得られないような楽しさを持って書いている。

今の私にとってそういうものだということが書けていればそれで満足です。