HSPについて学び始めてから、二ヶ月ほどが経過した。
購入した二冊の本は早々に読み終わって、その後は本に書いてあったことを実践したり、それから自分の中に小さな部屋を作り、そこで考えるときは過去の経験や日常で体験したことをHSPという視点で考えても良いというルールを作って、そういう時間を積み重ねていた。
…というところまでは確か一ヶ月くらい前の日常カテゴリーのブログで書いていたように記憶している。
読んでいた本の中にはHSPの人が抱えやすい体調不良についても書かれていた。
途中経過として私が書きたかったことというのは簡単に言えば、見つけられて嬉しかった知識についてだ。
私は普段からいくつかの体調不良に気を配りながら生活している。
HSPの人が抱えやすいとされている体調不良として挙げられていた身体的、精神的症状のほとんどが、私が普段から経験し悩まされている症状と極めてよく似ていることに気が付いた時はとても驚いた。
HSPについて学ぶ際の基本的なスタンスとして私は、自分はHSPだと思い込むのではなく、あくまで可能性の一つとして受け取れるように一定の距離感を保ちながら普段の自分と照らし合わせるようにしているが、この体調不良について書かれていた部分は、私が普段抱えている身体的または精神的症状についての説明としては最も説得力があって納得できるものだとさえ感じたので、長年の懸案の改善に向けて積極的に取り入れさせてもらうことにした。
私の体調不良はどこに原因があって、だからどういう対処が必要なのか。これまでそれぞれの点でバラバラになって存在していたものが、一本の線で結ばれるような感覚になった。
そういった感覚がものすごく新鮮だった、最近久しく感じていなかったスッキリとした感覚だったというのが実践しようと思えた最も大きな理由だったかもしれない。
もう少し突っ込んだことを言えば、強迫症状やパニック発作についての説明がこれまで私が他人に話さず隠していたもので、そこをズバリ言い当てられてしまったようなところがあったのも一回信じてみようかと思うのに十分な理由にはなったのだけれど。
さて途中経過を書く時期が想定していたよりも遅くなってしまったので、得られた知識を使ってもう一度改善を試みた生活がその後どうだったのかについても答えが出てき始めている。
現時点でこの試みはある程度成功している。欲しかった知識にやっと出会えて、長年の懸案はようやく改善され始めたと感じているこの感覚には自信を持っている。
私は自分のどこに原因があって、どんな対処が必要なのかについてを知りたかった。情報の海に散らばってる一般的な説明をどれだけ読んでも解決に結びつけられなかったのは、今考えると必然だったように思う。
頭が痛かったり、肩や首が凝ったり、強烈な不安に襲われて激しい動悸に悩まされたりと。体調不良が生じれば当然気分は良くはない。
けれど以前よりも、時折やってくるそれらに対する嫌悪感はとても和らいだように思う。
今までは活動に支障をきたすことも多かったので強い嫌悪を持っていたし、背負いながら生きなければいけない自分という個体のことを好きにはなれなかった。
今は肩の力が抜けて、少し休みたい、休憩したいと、服の袖かズボンの裾を引っ張る彼らの主張を受け止めてあげられるくらいにはなれたのかもしれない。
他人はおろか自分さえ理解しようとしなかった私という個体についてもう一歩理解の度合いを深めることで、今までよりもまた少し自分のことが好きになれて、感じていた生きづらさも和らいだ。
私がHSPについて学ぶことの最も大きな意味は、もしかするとそこにあるのかもしれませんね。